広告 / 2022(令和4)年4月14日(木)の備忘録

電車の広告は、欠点を指摘するものばかり。
つまり広告はマイナス要素に訴求するものである、ということは以前書きました。

電車内で欠点を指摘される朝

では、プラス要素を助長するものだったらどうだろう。

朝の通勤時間帯に仕事で都心方面に向かいました。ひさびさに乗る朝のJR山手線。
あの長〜いデジタルサイネージに、海外の労働者が次々登場しては列を成して踊り続ける広告が延々と流れて、これはこれでつらかった。
弾ける笑顔。躍動する四肢。うねる群衆。

朝のどんよりした気持ちと停滞前線が織りなすどんよりした天気。肌寒く湿った空気。なんかこう、そういうシチュエーションじゃないんだよな。
「元気の押し売り」とはよく言ったものです。

あと、電車が動くので不規則に激しく動くものが目に入ると酔っちゃう。

広告は、それがどんな内容だとしても、こちらの「空気」を読めてないとリジェクトしてしまうのだな、と改めて思いました。
こちらが「見てもいい」状態か、こちらが「見たい」ものか、こちらが「見られる」内容か。それらを乗り越えた先で初めて、その広告は当該消費者に購入可否の選択権を委ねられるようになるのかと思うと、「正しい」広告を作るには尋常じゃないセンスを要求されるなと思います。さいきんすぐ炎上するし。

とりわけ、WEB広告の内容で消費者側がいちばん覚えて心に残っていることって、「”×”ボタンの位置」ですからね。いかにして最短時間で広告の表示をキャンセルできるか。
そもそも「見ない」がスタート地点になってるので、基本スタンスとして上記「見てもいい」「見たい」「見られる」のいずれも満たしていない。まじで広告たいへんだな。

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