自宅マンションのエレベーターに乗り込んだらマック臭(マクドナルド臭)。あると思います。
「あ〜マック買って帰ってきた人いるな〜」と思いながら自宅に帰るのだが、同時に我が身を振り返ると恥ずかしくなってくる。
わたくしも当然、マックを買って帰ることがあり、エレベーター内にマック臭を漂わせることがある。
大学生までマクドナルドでアルバイトし、パンとも肉ともつかないサムシングを売り捌いていたということもあり、やはりマック臭は羞恥の対象となる。あれホント臭い。
つまり、わたくしはその羞恥をエレベーターに置き去りにする、そういうことになるのだ。
マック臭も羞恥も、どちらも物質的ではないが、確実に在るといえることが似ている。
エレベーターに置き去りにされたそれらは、わたくしという実在が立ち去ったあとに、その本領を発揮するのだ。
エレベーターを後にしたわたくしが感じることのなくなったそれらを、その後にエレベーターに乗った他者が「うわマック臭。マック買って帰ってきた人いるな」と感じ、彼/彼女は、わたくしを含み、かつわたくしを意識しない第三者にそれらを転嫁する。そういう構図が成り立つ。
なんだか哲学的だとは思いませんか。マック臭なのに。