していないことを宣言することはしていることのアピールとなる

古典的な表現として、「身を潜めている際にネコの鳴き声をしてごまかす」というのがあると思います。

敵軍の敷地についに侵入した主人公たち。厳しい警備を縫うように本陣へと歩みを進めます。この通風口に入り込み、狭い通路を抜ければいよいよ首謀者が鎮座まします玉座です。
しかし仲間がドジを踏んでしまい、物音を立ててしまいました。「なにやつ!」 いきおい集まる敵軍の警備員たち。「この通風口から怪しげな物音が!」警備のリーダー格が武器を構えながら尋ねます。「そこに誰かいるのか!」

「に、にゃ〜ん」

「な、なんだネコか」、緊張の糸が切れ、なんとなく笑う敵軍たち。「引き続き警備を頼むぞ」、解散する警備員たち。
急死に一生を得た主人公たち。そのまま狭い通路を進み、なんやかんやあって敵軍を壊滅しハッピーエンド。

いや、まあ、ふつうに考えてバレますよね

「誰もいません」と宣言することで誰もいないことをアピールする。アピールしているから、すなわち誰かはいる。EXISTとNOT EXISTが同一属性に適用されているという典型的な矛盾です。どちらかが真でどちらかが偽。
この「にゃ〜ん」の声、百歩譲って声自体がネコに酷似していると仮定しても、「そこに誰かいるのか!」に的確に反応しているので、明らかに「誰か」はいます。「な、なんだネコか」じゃあないんだよ。

オフィスビルの廊下を歩いていると女子トイレの外にまで音姫のサウンドが聞こえてくることがよくあり、つまり誰かが中でそれなりのサムシングをしでかしているということを内外に宣言していることと等価になりますから、わたくしは毎度「なんか矛盾しているような気がするんだよな」と思うという、そういうお話です。

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