孤独に気づく、無自覚な汁飛び

かなしい話になってしまいますが、やけに汁を飛ばすようになってしまいました

食事を終え、視線を落として着ている服をざっと見ると、何らかの汁が付着しているのです。
ナポリタンを食べれば赤い汁が付着し、サバの味噌煮を食べれば茶色い汁が付着している。お刺身を食べれば刺身醤油と思しきこげ茶の汁。塩ラーメンを食べれば判然としないものの輪郭のみを残す透明な汁。発見次第、心の底から爆音で流れる「がっかり」のサウンド。

わたくし個人の感覚としては、すべての食事を上手に済ませていたつもり。
汁飛びを誘発するような食器さばきをすることはなく、穏便かつ優雅に食事していたと思っています。「食事が上品だから育ちがいいでしょ」と複数人に言われたことをずっと誇りに思っています。お父さん、お母さん、ありがとう。

なのに、自分/他人の感想を切り裂くような各種の汁。客観のなかにのみ存在する汁飛びという事実。飛んだ汁が小さな点であるところもかなしい。
事実はいつも、個人の感情や期待みたいなものをぶん殴るように、客観のなかに独自に強固に存在しているのです。

食事中、向かいに座っていた同僚がポークジンジャーの汁を派手に飛ばし、シャツを台無しにして「うわー大丈夫か!」と心配したこともあります。レスポンスとしての「やっちゃった……」の声も聞きました。
もし汁飛びが発生するならば、せめてそうあってほしい。ドラスティックでありドラマチックであり、コミュニケーションの介在する汁飛びであってほしい。
数時間後に孤独に気づく、無自覚な汁飛びほどかなしいものはない。

意識や自覚の外側にて繰り広げられる汁飛びという客観的事実
老いるということがこういうことであるなら、わたくしは未来に希望を見出せない。

ひとりで外食しているときに汁飛びやっちゃうと、本当にかなしい
ひとりで外食しているときに汁飛びやっちゃうと、本当にかなしい

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