「出口は右側」の意味が解らない

長い間、「出口は右側です」の意味が解らない状態でした。

電車に乗っていると、「次は○○です。出口は右側です」という車内アナウンスが流れます。よく聞くアナウンスでしょう。
このアナウンスについて 2点、長らく意味が解らない状態でした。共感いただけますでしょうか。

1点目、そのアナウンス自体の意味
出口くらい、言われなくても解りませんか?

駅に到着し、ドアが開きます。そこが出口です。言われなくても解ります。
それが解らない人は、どうやって乗ってきたのでしょうか。出口はあなたが通ってきたそれか、その向こう側のどちらかです。

とはいえ、多くの車内アナウンスはカラダの不自由な方に向けてのものと考えていますので、その点においては理解しております。
目の不自由な方や車イスを利用している方にとっては、「出口は右側です」は意味のあるアナウンスです。駅に到着する前にその情報が解れば、カラダの動かし方に余裕が生まれると思います。

長らく意味が解らない状態でしたが、1点目について理解しました。

2点目、右側とは?
右側ってなに? おはしを持つ方?

わたくしが都内に住んでいることも理由になると思いますが、都内を走る電車の多くはマドに向かって立ったり座ったりします。つり革はマドに向かって立ちながらつかまるように設計されていますし、ロングシートもマドに向かって座るように設計されています。
つまり、その人にとって左右どちらも出口になりうるのです。つり革を放し、ロングシートから立ち上がれば、左右どちらに進んでも出口に向かえます。さらにいうと、出口は左右どちらでもなく正面である可能性もあります。

そうなってくると、あえて宣言している“右側”とはなにか?

「出口は右側です」とは、哲学的な意味を含んでいるのでしょうか。「人生における出口とは、右側です」。その“出口”・“右側”とは、形而上学での議論になるのでしょうか。揺れに揺れて見沼田んぼを爆走するJR武蔵野線で考える「出口とは? 右側とは?」という哲学問答もなかなかオツです。
「出口は右寄りです」になってくると、途端に政治思想もはらんできます。左右どちらが混迷し閉塞する国家・政治・経済にとっての“出口”なのでしょうか(うまいこと言った)。
「Body feels exit」だと安室ちゃんですね。

話がそれてきました。あいまいな態度に対し、議論こねくり回し屁理屈くそ野郎(わたくし)はいくらでも書くことができますが、結論的には「出口は(電車の進行方向)右側です」ということらしいです。“電車の進行方向”が暗黙的に示されていた
「出口は右側です」、このアナウンスの主人公は乗客ではなく、電車だったようです。解りづらくないですか? そもそも電車に左右の概念あるの? どっちも正面なのに?

車内アナウンスはカラダの不自由な方に向けてのものでしたが、その内容がアタマの不自由な議論こねくり回し屁理屈くそ野郎(わたくし)には理解できなかった、というお話。

疑うところから哲学は始まります
疑うところから哲学は始まります

2件のコメント

  1. 私が電車の降り口について左右の定義に違和感を感じた事は無いのですが、その左右についていつも不満に思うことがあります。(JRについて) 降り口は停車駅によって左右が変わりますが、自分が降りる駅ではどちらなのか? が、停車間近にならないと放送案内されません。いつもと違う駅で降りる時、特に混雑時には慌ててしまいがちです。更に、耳の不自由な方々にとっては到着直前のテロップしか案内が有りません。乗降口の上にあるモニターに全ての駅の降り口を表示しておけば良いと思いJRに2度意見を出してみたものの、当たり障りの無い回答しかありませんでした。利用者の立場で真面目に考えているのか!?

    1. 混雑している場合は確かに出口が自分に近いほうかどうかは大事な情報だと思います。
      大きい駅だとダイヤによって出口が異なることもありますね。
      昔の千代田線なんかはドア上にそのドアが駅で開くかどうかが掲載されていた気がしますが、いまはありましたかね。
      表示画面も大きくなったので、この先とまる全駅までの所要時間と出口は表示してもいいかなと思います。

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