うさぎ14歳5か月・春をもたらしお月さまに還ってゆく

うちのうさぎ(かわいい)の火葬が終わりました。

黄昏れる空は東京の冬らしく澄んでいて、それでいて風もなく穏やかで、彼も迷うことなく遠くに浮かぶお月さままで還っていけたのではないかなと思います。

火葬場から見上げた澄んだ空の向こうには、お月さまが浮かんでいました
火葬場から見上げた澄んだ空の向こうには、お月さまが浮かんでいました

12月21日の3:30ころでしょうか、うちのうさぎ(はな太)が息を引き取りました。
14さいと5か月でした。

2007年2月2日からわたくしたち家族の一員となり、それから彼と過ごした14年弱の年月というものは、日常になるためには充分で、日常であり続けるには短い、そんな長さだったと思います。
うさぎは生き物ですからいつか必ず死ぬ。それは解っていたことですが、かなりの長寿である彼の姿を見るにつけ、その定説を覆してはくれないかな、わたくしの中でそういった儚い期待が年々強まっていたのも事実でした。

帰宅すればケージの中に必ず彼がいて、寝ていたりごはんを食べていたり毛づくろいをしていたりなんか座ったりしている。そんな日常がずっとずっといつまでも続くのかもしれない、そう思っていたのですが、そんなことはありませんでした。当然ですが。

彼が体調を崩したのは12月13日の日曜日のことでした。2006年7月13日生まれの彼なので、ちょうど14さいと5か月の日です。
いつもならケージから出てきて遊ぶ(といってもホットカーペットの温かさを楽しむのみ)のに出てこない。ごはんも食べていない。あまりにもようすがおかしいので、かかりつけの病院に電話をしムリを言って診てもらいました。

胃腸の動きが弱っているかもしれないが、クルティカルに悪いワケではないとのことで、胃腸の動きを促すクスリを点滴してもらって帰りました。ただ、診察と点滴のために毎日通院してほしいとのこと。

うさぎの胃腸は、常に動いているそうです。
食べることで動き、動くことで食べる、その繰り返しがうさぎの健康をつくります。
胃腸の動きが止まると内容物が発酵しガスが溜まり胃腸が膨張し、そのぶん肺等が圧迫され呼吸が浅くなり、さらには酷い痛みに耐えきれず自ら心臓を止めてしまうこともあるとのこと。

つまり、ごはんを食べられないくらいに状態が悪くなりつつあることが解ったのです。
きのうまでふつうにオヤツとかごはんとか食べていたのに、そんな急に。

この日から、妻は仕事の前に毎朝彼を病院に連れて行っていました。妻の都合がつかない日はわたくしが仕事を早上がりして病院の受付だけを済ませたあと、ふたりで彼を病院に連れて行きました。
ペレットのごはんを食べないので、彼の大好きなバナナやりんごやオレンジ、小松菜やバジルを食べさせ、赤ちゃん用の飲み物や果汁100%ジュースも飲ませました。
しかし、一進一退の病状。いえ、すこし寛解してはより増悪する、そんな様相でした。数日後には自力で食事をすることはなくなり、寝返り程度の動きしかできなくなってしまいました。
赤ちゃんうさぎみたいに見えても14さいの超高齢です。病に打ち勝つ体力は、もはや残されていなかったのかもしれません。

その間で1日だけ、痛み止めが効いて調子がよかったのか、呼びかけに反応して「撫でなさいよ」とアタマを出してきたことがありました。あれは本当にうれしかった。

12月20日の日曜日。病院で点滴をして帰ってきたあと、彼に大好きな日向ぼっこをさせてあげました。ぐったりしてしまっていてあまり動かないのですが、そのようすも「彼のいつもののんびり日向ぼっこ」に見えました。
わたくしは何となくそのようすを写真に撮りました。強く意識はしていなかったのですが、おそらく「これが最期の日向ぼっこかもしれない」と思っていたのでしょう。

ぐったりしているものの、いつもの日向ぼっこ(かわいい)にも見えます
ぐったりしているものの、いつもの日向ぼっこ(かわいい)にも見えます

何度かバナナチャレンジをしたのですが結局彼は食べることをせず、やがて夜になりました。
妻に抱かれている彼に、わたくしはいつもどおり「おやすみよ~」と声をかけつつアタマを撫で、寝室に向かいました。その途中、別に広くもない家につきわずかな距離なのですが、自然と涙が溢れてしまいました。きのうもおとといも同じ「おやすみよ~」をやっても出なかった涙が、です。
何となく、これが最期の「おやすみよ~」だと解っていたのだと思います。

2時間くらい後でしょうか。彼のケージの横で寝ていたハズの妻が「ちめたん(うさぎの愛称)の呼吸がおかしい」とわたくしを起こしにきました。そのちょっと前には地震で家が揺れていたことも覚えています。
「おやすみよ~」のときはおとなしく抱かれていた彼が、いまは不自然に横たわり「ひっひっ」と音を立てる呼吸は荒く、クチはパクパクと呼吸に合わせて開閉し、なによりも胃の部分が外から見ても解るほどに酷く膨らんでいました。ここまでの状態の悪さは、見たことがありません。

痛いだろうに。苦しいだろうに。かわいそうに。調子がよくないことにもっと早く気づいてあげられたらよかった。ごめんね。でも14さいのおじいちゃんなのに、ここまでよくがんばったね。えらいね。いままでありがとう。楽しかったね。本当にありがとう。
妻とともにそんな言葉をかけ優しくカラダをさするなか、彼は息を引き取りました。
妻とふたりで彼の最期を看取ることができて、生き物にとって不可逆で最悪な「死」にあっても、それだけはよかったと思います。大往生でした。

お花いっぱいに囲まれリボンでちょっとオシャレもした彼と手を握る妻
お花いっぱいに囲まれリボンでちょっとオシャレもした彼と手を握る妻

生命に必ずおとずれる「死」に、意味はありません。自然現象に理由はあっても意味などないのです。水を0℃以下まで冷やせば凍ることにも、光を遮った部分に影ができることにも、意味なんてありません。「死」も、同じです。
しかし、人間は言葉を用いて意味の世界を創り出し、その中でそれを拠りどころに生きていることもまた、事実です。人間はあらゆるものに意味を求めます。人間は意味に基づき物事を定義し構築します。意味が解らない事象を怖がりムリヤリ意味を持たせ化粧をさせては人工的に不安を解消させるくらいに、人間は弱いのです。

うちのうさぎ(はな太)は、前述のとおり12月21日に息を引き取りました。12月21日は、冬至です。
冬至から立春にかけては一年でもっとも寒さが厳しくなる時期であるいっぽう、夜がもっとも長い冬至を境に徐々に夜は短くなり昼は長くなっていきます。
彼の死は悲しく、暗い。それはこの時期の夜の長さと風の冷たさに等しいです。でもこれから、明るい時間は確実に長くなっていきます。そういえば彼が我が家にやってきたのは、2007年2月2日、寒さが緩み始める立春の直前でした。

彼が息を引き取った12月21日、すなわち冬至という日に、弱いわたくしはそんな意味を求めてしまいます。
彼はいつでも、その「死」にあっても、わたくしたちに「春」という意味をもたらしてくれていたのだと、わたくしはそう考えるのです。

およそ14年間、本当にありがとう。ずっと楽しかったしずっとかわいかった。幸せだった。さようなら。お月さまに還っても元気でね。

この空に向こうに、彼はのぼっていきました
この空に向こうに、彼はのぼっていきました

2件のコメント

  1. こんなに幸せなうさぎちゃんはいないと思いました。
    わたしも今いっしょに住んでるうさぎ(もちろんかわいい)とこういう風に日々を大切に重ねていきたいです。
    通りすがりに唐突にすみません!

    1. 通りすがりにコメントありがとうございます。
      うさぎ(かわいい)が幸せに思ってくれていれば一緒に暮らした甲斐があるなと思いますし、この14年間はそれを第一義にしていました。
      サブレのママさまのうさぎさん(かわいいとのこと)もきっと幸せな毎日が待っていると思いますので、どうかうちのうさぎ(かわいい)の分までかわいがってあげてくださいね。

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