強固な記憶力と鮮明な想起力を仮定する

記憶力は高いほうがいいと思います。
年齢によるものなのか、いろいろと覚えられなくなってきているいま、もう少し若かったころの記憶力のよさをうらやましくも思っています。別にとりたててたいしたものではなかったけれど、確実にいまより覚えられた。

でも、記憶力は強固であるほうが本当に望ましいのでしょうか。

たとえば、人智を超えるような強固な記憶力と鮮明な想起力があった場合、それを呼び覚ますときどのくらいの解像度なのかを想像してみます。
おそらく誰もが、まるで「録画した映像を目の前で再生するような」ものと回答するでしょう。なにかの資格試験があった場合、学習した内容が「録画した映像を目の前で再生するように」想起されれば、どれほど素晴らしいことでしょうか。
ちょっとした瞬間の出来事、気に留めなかった光景、すべてが思いのままに「目の前で再生」できる。強固な記憶力と鮮明な想起力、誰しもが憧れる能力と言えます。

いっぽう、それは現実を見なくなるほどのチカラとも言えます。
過去の素敵な出来事を何度も何度も鮮明に想起できるのであれば、そこに浸って生きていくことを選ぶ人も出てくるでしょう。日々のしがらみや生きづらい世の中から解放されるため、すべてに守られ楽しく瑞々しかった子ども時代のノスタルジーに身を投じ続けることも理解に難くありません。
過去と現在、記憶と実感、すべてが曖昧になり、空想と現実の差を断定できないとなれば、ともすれば廃人になってしまうことも憂慮されます。

あと、ごはん食べてるときに急に今朝のunkoのこととかをバキバキに思い出したら最悪

中途半端ともいえる人間の記憶力は、「いま」を生活するために、そして過去を言語化するために、最適化されたものなのかもしれません。
あなたやわたくしの記憶力はこの程度だから、「いま」をそれなりに生きることができ、ごはんも美味しく食べられるのだと思います。

仮に思い出してもこの再現力ですからね
仮に思い出してもこの再現力ですからね

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