【偏見】でかい音=バカ

これはもう完全に偏見なのですが、「でかい音」はバカだと思っています。しかしそれには、論理的な裏付けもあります。

意味なくでかい声で話す人のことを、わたくしはバカだと思っています。ぼそぼそ話していて聞き取れないのもよくありませんが、TPOをわきまえずに声がでかい人は「バカなのかな」と思います。
具体的には、7〜8メートル離れた先をカップルで歩いていて、男性の方だけ声がよく聞こえる。前を歩いているのでこちらには背中を向けていて、声はよく聞き取れないハズなのに。これはもう「バカなのかな」と思ってしまいます。女性の方はなんとも思わないのでしょうか。

クシャミの音がでかい人のことを、わたくしはバカだと思っています。生理現象なのである程度は仕方ないと思っていますが、ときたまクシャミと同時に明確な意思を持ってかなりの声量で発声している人がいて、「バカなのかな」と思ってしまいます。
クシャミ純正の「クシャン」だけではなく、「アーッ!」みたいな大声まで混ぜてくる。クシャミ純正の音量を凌駕するその発声。こちらをびっくりさせてまで鳴らす意味や必要性はあるのでしょうか。もちろん、周囲に誰もいないとかパーソナルな空間であればご自由にどうぞ、ですが。

交通系ICカードを自動改札の読取機にタッチさせるときの音がでかい人のことを、わたくしはバカだと思っています。手が滑ったりとかではなく、明確な意思を持ってICカードを勢いよく「バチーン!」と読取機にぶつけているのを見ると「バカなのかな」と思ってしまいます。
彼らはご存知ないのかも解りませんが、交通系ICカードを使用して改札を通る「タッチアンドゴー」の「タッチ」は彼らの行為である「クラッシュ」とは異なりますし、交通系ICカードは非接触型なので物理接触自体が不要です。意味なくでかい音を出しカードを読取機にぶつけそれぞれを矮小に劣化させることに、なんのためらいもないのでしょうか。自動改札機もタダじゃないんだ、壊れたらどうする。

要は、わたくしはガサツな人がニガテなのです。
これら「でかい音」はすべて、ガサツな行為から発せられるものです。

スーパーとかで、いったんカゴに入れた食品を棚に戻す際に「ガサッ」と放り投げたりする人を見ると嫌悪感を覚えますし(カゴに食品を放り込む人もニガテ)、そのカゴをカゴ入れに返却する際に「ガチャッ」と放り投げてしかもナナメに入っているのを無視して(気づかず?)出口に向かう人にも嫌悪感を覚えます。ここにも、本来は出なくていい音量の「音」が出ています
棚に食品を放り込んで戻したり、カゴをナナメに返却したりは、「次の人」をまったく意識できていない、ガサツな行為なのです。わたくしの嫌悪感は、ここにあります。

「次の人」を考えられていないような人は、自分以外は何も見えていないし考えられておらず、つまりはバカなのです。これらは罪悪であり、そして最悪です。
それらのアウトプットとして、「でかい音」があるのです。

行為に付帯する音の音量を最適化させることは、時間的空間的周囲に想いをはせることと同じことです。つまり、考えます。考えるべき時に考えることができる人は、バカではないと思います。

よって、「でかい音」はバカだと、わたくしは思うのです。

異様に音のでかい自転車もバカだと思います
異様に音のでかい自転車もバカだと思います

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