「ドッキリマーク」に垣間見る被害者意識

『!』、「エクスクラメーション・マーク」のことを、日本語では感嘆符と言います。俗称というか、一般的には「ビックリマーク」と呼称するのが自然でしょうか。

ところが友人はこれを、「ドッキリマーク」と言い張っていました。う〜ん、ドッキリか〜。

「ビックリマーク」には、能動的なイメージがあります。
なんらかの状態があり、わたくしたちはそれに自ら驚いている。その状態はわたくしたちを驚かそうとしているのではなく、ただそこにあるだけ。それにわたくしたちは自由に驚いているのです。「自由に驚く」というのも不思議ですが、つまりそこには「驚かしの意思」が介在しないのです。

一方「ドッキリマーク」だと、受動的なイメージとなります。
わたくしたちは、なんらかに驚かされています。驚かせるための出来事や場面や瞬間があり、それにわたくしたちはまんまと驚かされてしまいました。わたくしたちの意思を無視して、半ば強制的に驚かされるのです。その出来事や場面や瞬間には、明確な「驚かしの意思」が介在するのです。

『!』を「ドッキリマーク」と言い張っていた友人。『!』自体からの被害者意識があるようで、いまさら心配になってきました。
友人が『!』を「ドッキリマーク」と言っていたのは、20年近く前の思春期です。「いや、ふつう『ビックリマーク』って言うでしょ」と一笑に付してしまい、もっと優しく話を聞いてあげられなかったこと、後悔です。

でも「ドッキリ」ってこういうことでしょ?
でも「ドッキリ」ってこういうことでしょ?

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