食事のときだけ上着を脱いだりめがねを外したりする人を考えると、それはやがて哲学になる

食事のときだけ上着を脱いだりめがねを外したりする人、いませんか。

とくに何が悪いワケでもないですし、食事に対する心意気を存分に顕していてむしろいいことだと思うんです。でも、何か気になります。
屋内に入り気温が高いから上着を脱いだということでもなく、湯気によって曇ることを避けるためにめがねを外したということでもなく、店員さんが配膳したことを契機に上着を脱ぎめがねを外す。気温も湿度も関係ない

わたくしはどうしても意味の中に生きていてしまい、つまり「意味が解らないこと」を怖れています。タモリさん(タモさん(タモさま))が「意味なんてなくたっていい」「意味がジャマして物事の本質が見えなくなる」「重苦しい意味の世界」、そう言っているのに、です。
なぜビストロSMAPで中居くんは、試食のときだけジャケットを脱いでいたんだ。なぜ定食屋で湯気が出ることのない刺身定食を頼んだこの後輩は、箸を握る前にめがねを外すんだ(「食事のときはめがね要らなくないですか?」とのこと)。中居くんやこの後輩以外にも、同様の動きを魅せてきた方は他にもいます。

意味を探しても何もない。理由を聞いても腑に落ちない。世界と自分が折り合わない
わたくしには意味が解らない。だけど当人はそれを当然としている。

だからタモリさん(タモさん(タモさま))は言ったのかもしれません。「意味なんてなくたっていい」「意味がジャマして物事の本質が見えなくなる」「重苦しい意味の世界」と。

おそらく、わたくしの「意味」は、世界の誰かの「意味」と、必ずしも同じ「意味」ではない、そういうことなのだと思います。いや、否が応でもそう思わせてくるのです。

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