【本】#058 感性の限界 不合理性・不自由性・不条理性 / 高橋昌一郎

感性の限界 不合理性・不自由性・不条理性
感性の限界 不合理性・不自由性・不条理性

感性には限界があるのかなと常に考えているわたくしですから、この本を手に取るのは自然です。

本書は以前ご紹介しました「理性の限界」「知性の限界」を含む「限界シリーズ」の3冊目です。

【本】#055 理性の限界 不可能性・不確定性・不完全性 / 高橋昌一郎

【本】#048 知性の限界 不可測性・不確実性・不可知性 / 高橋昌一郎

 

この「限界シリーズ」は、あらゆる知的好奇心がバキバキに刺激される内容で、3冊目の本書もその流れに違わずたいへん楽しく読み進めることができました。前2冊と同様に、いろいろな学術の専門家がシンポジウム形式でディスカッションする内容で、このおもしろさも同様でした。

前2冊は「理性」「知性」がテーマで今回は「感性」ということでしたので、前2冊とは異なり科学や論理の立場から今回は芸術への舵きりがあるのかなと思いきや、認知や意識といった科学的な観点から感性の限界を探る議論内容でした。これは意外。
芸術こそ論理の外側にあるものだとわたくしは考えているので、感性をテーマに議論することは不可能なのではと思っていたのですが、あくまで論理的な議論に終始していたので安心して読むことができました。芸術に関わる感性の議論は、「いいものはいい」「悪いものは悪い」で平行線になりそうですから。

合理性や自由性などを主軸に構えればこんな行動をとるハズがない、でもわたくしたち人間は「感覚的に」こういう行動をとってしまう、それが感性の限界である。そういった内容が次々に明るみになる議論はたいへん興味深く、アンカリングや認知的不協和といったわたくしにとっては既知のものも出てきましたが、非合理的な人間の行動は相変わらずおもしろいです。
そして、「存在の限界」としての「死」。わたくしには子どもはいませんが、こうしてWeb上に自分の考えとしての文章を書いているのは、あるいは「死」という限界を超えるためにみずからの遺伝子(いわゆるミームの一種)をこの世界に残そうとしている本能によるものなのかもしれない、そう考えてしまいました。

また、タイムリーだなと思ったのはこの文章。引用します。

イギリスの雑誌『ワイヤード』の2002年特集企画で、「2020年までに、百万人規模の死者を出すようなバイオエラーやバイオテロが起こる」という予測に対して、イエスかノーかの賭けが行われました。(中略)この賭けに対して、英国国立天文台台長という要職にあるケンブリッジ大学の天文学者マーティン・リースが「イエス」に千ドル賭けたことが話題になりました。リースは、「もちろん、賭けに負けることを切望しているが、正直言って負けるとは思っていない」と述べています。

「生命倫理を逸脱するようなバイオテロリストが将来出現するか」という文脈における上記文章ではありますが、2021年2月14日時点において、新型コロナウイルスによる死者は全世界で約240万人です。今回の新コロはバイオエラーやバイオテロではないことを祈りますが、リース氏の賭けは半分当たっていて背筋が凍りました。

すこし脱線してしまいましたが、「限界シリーズ」3冊目の本書も間違いのないおもしろさでした。知的好奇心をバキバキに刺激したい方にはオススメです。

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