悪意があるような気がする

きのう五郎丸ポーズに言及したことでふと思い出したのは、昨年の紅白歌合戦です。
紅白歌合戦の舞台上、氷川きよしさんは、溢れんばかりのラガーマンを従えて熱唱していました。いったいどういうワケでしょうか。

やっぱりなんというか、思うところがありますよね…。
「?」と思うかたは、Webにて「氷川きよし そっち系」等で調べていただきまして。

さて、この「そっち系かもしれない男性演歌歌手が、たくさんのラガーマンに囲まれて、伝統的な大みそかの生放送歌番組で唄う」という、かなりエキセントリックな演出を観ると、わたくしはそれが実現されていく過程や可能性および、それを取り巻く人々のことを考えてしまいます。

まず、「氷川きよしさんをラガーマンで囲んでみよう」という演出を思いついた人。
「これなら氷川きよしさんが喜ぶな…うへへ…」とでも思ったのでしょうか。その発想が天然であっても養殖であっても、なんか悪意があるような気がします

つぎに、この企画はその演出家ひとりで実現したとも思えないので、そこに携わるすべての人間が「ん…?」と感じても軌道修正しなかった、あるいは「氷川きよしさんが喜ぶな…ぶほほ…」と思ったのでしょう。なんか悪意があるような気がします

他方、氷川きよしさんサイドからの提案という可能性も考えなければなりません。「ぼく、ラガーマンに囲まれて唄いたい!」ということでしょうか。
ふつうに考えて、「氷川さん、ちょっとそれは過ぎるんで…! みんな(国民の約半分が)観てるんで…!」とマネージャーや事務所が止めるのではないのでしょうか。仮にその内部統制をスルーして演出サイドに発注がかかってしまったとしても、それを忠実に実現しすぎた演出のみなさんの罪は重いです。仕事としてはカンペキなのですが、針を振り切りすぎです。なんか全般的に悪意があるような気がしますね。

2015年12月31日、氷川きよしさんが溢れんばかりのラガーマンを従えて唄い出したのを目の当たりにしたわたくしの脳裏にはそんな想いが瞬時に去来し、遠くの寺で打ち鳴らされる除夜の鐘を聞いたのでした。煩悩まみれ。おかげでことし2016年は、健康に不安を抱えた1年になりました。

いちばん悪意があったのは、他でもなく わたくしだったのです。本件につきまして、謹んでお詫び申し上げます。

いま観てもやっぱりすごいな…
いま観てもやっぱりすごいな…

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