【再放送】#201 小説の内容は覚えてませんが

#201 小説の内容は覚えてませんが
松岡 (2007年1月 7日 01:28)

高校のころの話。現国の授業で、小説『山月記』の単元が始まった。

僕はあまり国語の授業はスキではなかった。
まず、ヨコ書きのノートをムリヤリにタテに使わされるのがイヤだった。別にヨコ書きでもよいではないか。学校の、そういった自由の制限 ひいては思想の統率が本当にイヤだった。
そんな個人的なエゴもあってだが、授業は軽く聞き流していた。現国に限ったものではないが。

しかし、現国のイナイ先生(仮名)の その言葉だけは聞き流すワケにはいかなかった。

「はい、この『山月記』の著者の中島敦ですけども、この人はもう、めがねからして 死んでるわね!

なんという発言。クラス内が「ざわ・・・」となったような気がした。

イナイ先生の発言の真意は未だに、そしてこれからも闇の中だが、恐らく「(写真を見ると解るように、古いカタチの)めがね(をかけている)からして (いまの時代に生きている人ではない、つまり)死んでいる(人だ)わね!」という意図の発言だったのであろう。端折りすぎではあるまいか。
確かに Wikipedia の中島敦のページを参照すると、彼は めがねからして死んでいる。平成19年の現在では、とんとお見かけしないタイプのめがねである。

「めがねからして死んでる」。このセンセーショナルな表現による洗礼を受けて以来、僕が 明治時代のころの写真を見ては「めがねからして死んでる」人を探すのに躍起になっていることは、もはや言うまでもないだろう。
そして、そんなめがねの人を見つけてはこう言うのだ。「めがねからして 死んでるわね!」と。

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