在宅状況の画期的な公開方法

高校を卒業したあと、アパレルの仕事をしていた姉。

わたくしは当時小学4年生くらい。姉も当時は実家から仕事に行っていました。
姉の仕事はシフト勤務だったので、平日や休日に関わらず出勤し帰ってくる時間も不規則でした。よって、曜日や時間で姉の在宅状況を推しはかることができなかったのです。

ただ、わたくしが学校などから帰宅した瞬間に姉の在宅状況の解る手段、あるいはわたくしの在宅中に姉が帰宅してきた瞬間の解る手段が、ただひとつだけありました。
それは視覚や聴覚ではない、意外な感覚によるものです。

そう、足の臭さです。

めちゃくちゃ足が臭かった姉。
足臭さで「あ、いるな」「あ、帰ってきたな」が解ったのです。在宅状況の公開方法としては画期的な手段であったと思います。

ある日、姉自身も「わたしの足がめちゃくちゃ臭い」と漏らしていたので(ニオイを)、その発言に乗っかるカタチで「たしかに、足の臭さの有無が、それすなわち姉の在/不在と同義である」とわたくしは発言しました。
姉は「10時間連続で同じパンプスを履いていれば仕方がない」と言い、続けざまに「社会で働くとは、こういうことだ」と言いました。

社会とは、こういうこと。
わたくしは目を見開き、思わず息を呑みました。二の句が継げなかったことを、鮮烈に記憶しています。

それから20年を超える時間が流れ、おじさんとなったいま。
当然わたくしも足は臭いし、くつ下は洗っても洗ってもニオイが消えません。

すべての臭き足が、社会を構築する。社会に、わたくしは、在る。

臭き足のイメージ
臭き足のイメージ

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