最初に考えた人

目に見えない「動きそのもの」を目に見えるように表現するというのは、難しいことだと思います。文章なんかもそうですが、とくにまんがは「それがすべて」であるため、もはや一般化してしまっている表現であっても、あらためて考えると特異だなと思います。

わたくしがここで言いたいのは、気づいたときの表現の2種類です。

ふと気づいた漫符
ふと気づいた漫符
驚いた漫符
驚いた漫符

これらを最初に考えてまんがで表現した人、すごいと思いませんか? 思いますよね? 思わない? いや、そんなことないでしょ。思うでしょ。そうでしょ。思いますよね。
わたくしたち人間およびすべての動物は、何かに気づいてもアタマからこんなものは出ませんから。

ヒトが何かに気づいても、目に見えて動くことはなく、いわば脳の中身(電気信号)が動いたワケです。びっくりしたときはカラダも動きますが、まずは脳でびっくりしてカラダがそれによって動いているので、この漫符(まんぷ)は脳の動きを表現していると言えます。
手足や物体はさておき、脳の動きまで、まんがで表現しますか。

また、この表現方法がデファクトスタンダードになっていて、まんが表現の基礎みたいな位置づけになっているところも素晴らしいです。つまり、誰がどう見ても、これらは「気づいた」表現なのです。すべての読者に違和感なく受け入れられる表現。表現方法として、ここまで100点に近いものって、なかなかないですよね。

いったい最初にこの「気づいた」表現をまんがで描いたのは誰なのでしょう。古来からの表現方法であるとは思いますが、ぜったいに「最初に考えた人」がいるハズです。天才なんでしょうね。

当たり前のようになってしまっているもの、違和感なくすべての人々が表現/認識しているもの、こういったものこそに、敬意を払うのも大切であると思います。
このような思いを共有できればよいので、とくにオチもなく今宵は筆を置きます。

やっぱり手塚治虫先生なんでしょうかね。
やっぱり手塚治虫先生なんでしょうかね。

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