疑い深くなる理由

疑い深いほうだと思っていますし、それには理由があります。

幼稚園生の頃、電車に乗ってどこかに遠足に行きました。どこに行ったのかはあまり覚えていません。
どこに行ったのかは覚えていないのですが、「電車に乗ってどこかに遠足に行った」ことだけが記憶にあります。電車に乗っていた最中に発生した重大な出来事によって、遠足というイベントの枠内がすべて満たされてしまったような状態でした。

遠足ですので、水筒を持っていきます。
そしてその水筒が、電車内で突然に壊れたのです。こんなことってあります?

電車に乗っておとなしく座っているとなんとなく下半身が集中的に湿り気を帯びじんわり温かくベタついてきました。電車のシートも濡れます。
「なんでなんで」と思うと、水筒の底からポタポタと中の甘い紅茶が漏れていたことが解りました。水筒壊れてるじゃん。

「家を出る時には漏れていなかった水筒がなんでいま?」「なんで甘い紅茶?」 幼少ながら、さまざまな思いが交錯します。
「おしっこ漏らしてる〜」という心ない言葉も聞こえてきました。幼稚園生同士の人権のなさが露呈します。
違うんだ、この生温かい液体はシッコではないんだ。しかし色も温度も似ている以上、シッコと思われても仕方ありません。

ほとんど流れ出た内容物と引き換えに、わたくしはじんわり温かく湿った下半身を得ました。罪はないのに罰はある。これが人生なのでしょうか。
事件は行きの電車で巻き起こったので、その後はベタついた下半身と空の水筒でどこかを巡ったのでしょう。ベタついた下半身と空なのに重い水筒しか記憶になく、巡った場所はいっさい覚えていません。

「家を出る時の確認が問題なくとも、出先で“問題あり”になることもある」。
幼稚園生にはなかなかハードな経験であり、そんな出来事があれば疑い深くもなるハズです。

いまだに外出の準備は不安になります
いまだに外出の準備は不安になります

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