自由と指定

「3学期の席替えは、自由!」

3学期の冒頭、先生がこんな発言をした瞬間、先生はヒーローになっていたと思います。わたくしたちは小学校の頃、自由な座席に憧れました。巻き起こる歓声。後ろの方に殺到する児童。でもわたくしは目が悪いから前の方。

しかし大人になったいま、「自由席」と聞くと途端に表情は曇ります
ちょっとばかり高くてもいいから、指定席にしたい。座るために早くから並ぶのもイヤだし、それでも座れないかもしれない。なんならグリーン車にしたい。

「自由席」の言葉の意味に、ここまで強烈なパラダイムシフトが生じようとは。
小学校の頃に盛り上がった「席替えは自由」と、「新幹線の自由席」は、似ているようで、もはや価値観は真逆です。

知人のオフィスでは、フリーアドレス制を導入しているそうです。仕事の座席は、毎日好きなところに変えてよい。
それでもやはり、だいたい固定的な場所に座ってしまうそうです。そのほうが「落ち着く」とのこと。

わたくしたちは「制度」や「制約」や「制限」を希求し、ある種で不自由になりたがっているのかも解りません。「落ち着く」とはつまり、「不自由になること」
子供のころにあれだけ自由を求めていたわたくしたちは、いつしか自由を避けはじめていました。それが大人になることといえるのでしょうか。

「自由とは責任を負うこと」と気づき始めるのが敗因です
「自由とは責任を負うこと」と気づき始めるのが敗因です

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